気がつけば、もう何年も妻とゆっくり話しをしていない。
意識して避けてきたわけじゃない。でも、いつからか自然とそうなっていた。
夜、一緒に寝ていても、手が伸びることはない。
朝の布団の中で、そっと横顔を見るだけで終わる。
若いころは、もっと自然に触れていた気がする。
なにげない会話の中で笑い合い、流れるように体を寄せ合った。
でも、今は違う。声をかけることも、触れることも、どこか構えてしまう。
男として、自信がなくなってきた。
昔のように反応しない体。
誘っても、断られるんじゃないかという不安。
そして、何よりも、そうなったときに自分が傷つくのが怖い。
じゃあ、妻はどう感じているのか。
聞いたことがない。
聞く勇気がなかった。
妻も年を重ねている。
更年期の影響か、眠れない夜が増えたと言っていた。
疲れやすくなったとも言っていた。
もしかすると、体の変化は妻の方がずっと大きいのかもしれない。
それでも、彼女は毎日変わらずに家事をこなし、仕事に向かい、穏やかに笑っている。
それが、なんだか遠く感じた。
強いな、と思った。
同時に、自分がどんどん弱くなっていくようで、情けなかった。
たぶん、お互いに「気になっている」のだと思う。
でも、そのことについて話すきっかけが、ない。
若いころのように、勢い任せにどうこうできる話じゃない。
だから、なおさら難しい。
でも、本当は知りたいと思っていた。
妻の体に何が起きているのか。
心はどう感じているのか。
そして、自分にできることがあるなら、知りたいと思った。
ある日、思い切って話してみた。
「最近、なんか…距離あるよね」
妻は少し驚いた顔をしたあと、小さく笑った。
「そう思ってたの、あなただけじゃないよ」
そこから、少しずつ、話をした。
性の話なんて、結婚してからほとんどしてこなかったのに。
それでも、話し始めたら、不思議と心がほどけていった。
妻は言った。
「正直に言えば、年々、気持ちよくないって思うことも増えてきた。痛みもあるし、気が進まないときもある」
でも同時にこうも言った。
「だからって、嫌いになったわけじゃない。あなたに求められないと、やっぱり寂しいの」
その一言に、胸がつまった。
自分の中だけで悩んで、勝手に遠ざかっていた。
でも、妻も同じだった。
話さなければ、わからないままだった。
そこからは、無理をしないことにした。
無理に行為をしようとしなくてもいい。
でも、手をつなぐことはできる。
背中をさすることはできる。
言葉をかけることもできる。
生とは、ただの行為ではない。
心と体の両方で向き合う、大切な関係の一部なんだと思った。
そしてそれは、年齢を重ねたからこそ、より深く育てられるものかもしれない。
若いころにはできなかった触れ方、語り方、距離のとり方。
それが、これからのふたりの形なのかもしれない。
あとがき(読者への問いかけ)
もし今、パートナーとのことで悩んでいるなら、
自分ひとりで抱え込まず、そっとでもいいから話してみてほしい。
年齢とともに変わるからこそ、
もっと“思いやり”に近づいていくものだと思う。